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治療院ストーリー私は中学、高校と柔道部に所属し、その頃は朝の練習、夜遅くまでの練習、当たり前の時代でした。私はそれほど強くなかったため、投げ込み相手として最適だったのか、怪我がしょっちゅう起こりました。捻挫はもちろん、膝の骨折、鎖骨の骨折、肘の脱臼、肩の脱臼etc、 中でも肩の脱臼には相当泣かされました。何度肩が外れたであろうか。 この肩にはほとほと困り、当時、大相撲の千代の富士が豪快な相撲をとるため、肩の脱臼癖があるというニュースが話題になりましたが、自分と同じ怪我ということで非常に興味を持ち活字を読まない私がなぜか、千代の富士に関する新聞、雑誌等をよく読んでいたことを覚えています。「手術をしてしまうと相撲人生が終わってしまう。筋肉をつけることで脱臼を防ぐ‘逆療法‘で克服しよう。」というこの言葉が当時大変衝撃的でした。筋肉のヨロイを身に着け、その後、大横綱への道は周知の通りです。手を付いただけで右肩がガクッと外れてしまうことで、悩んでいた私は単純にも千代の富士の逆療法を自分にも当てはめ、父親に頼んでダンベルとバーベルセット(当時で5万円くらい。我が家にとってはかなり大きな出費でした)を買って貰い、柔道の練習を休んで毎日筋力トレーニングをしました。その成果がなんと、半年くらいして肩が外れなくなりました。肩周りの筋肉、胸板と厚くなり、体も大きくなり、力もついたことに自分でも驚きました。(ただし、これは全ての人に当てはまりません。たまたま良くなっただけだと思いますが・・・)この頃から、治療というものに少しずつ興味を持ち始めましたが、この道に進もうとは考えていませんでした。もう怪我の多い柔道は、高校で終わりにして大学に進学してから違うことをしようと思いました。 しかし、よせばいいのに何故かラグビー部に入りました。また怪我の連続でした。 大学卒業と同時に治療家を志し、柔道整復師専門学校に入りました。 人間は40歳を超えると老化現象によって靭帯の柔軟性が失われ、軟骨がはがれていくような組織の編成によって関節が腫れやすいということが勉強しているうちにわかってきました。 どうすれば根本治療ができるのか、何か他に手立てはないのか、空しい日々を送っていました。 民間療法を手当たり次第に手を広げ、さまよっているうちに、スポーツ医学の本に(リハビリを目的とした関節運動学療法)目が止まり、さっそくこの‘関節運動学‘の本を購入し、読み進んでいくうちに私は『これだ!』と思いました。 スイッチが入った私はもう居ても経ってもいられず、すぐにこの書物を執筆された大阪の医師に電話をしましたが、当時大変診察に忙しくて電話でお話しできませんでした。 数日後、大阪へ出向き診察を見せていただき、多くの患者さんを腰の関節を中心に軽く押すことで簡単に痛みが取れていくのに本当に驚きました。 感動を目の当たりにした私はそれ以来、‘関節運動学療法‘の虜になり、探し求めていた治療に出会え、厚木から大阪まで毎月、押しかけ見学を10年以上続け、ご指導を受けました。 思えば18年前、初めて見学に行った時の感動、帰りの真っ赤な夕焼け空は今でもはっきり覚えています。先生の教えは「痛みが起こるということは、関節面の滑り・回旋・回転などの運動が異常であること、この動きの悪い関節を正常にしていく運動を誘導すると、様々な症状が改善できる。」という今までの運動器疾患の治療にはなかった視点で明快でした。 神経の圧迫や炎症、椎間板や関節・骨の変形や老化だけでは説明がつかない痛みの原因は『これだ!』とハッキリしました。 あの日の感動と夕焼けの美しさを忘れずに、これからも改善していく患者さんの笑顔を見るために知識も技術も磨いていきたいと思います。 |